ことにいでて  言はぬばかりぞ  みなせ川  下にかよひて  恋しきものを 
 
  ~古今和歌集 紀友則




 

 「お人形さんがいるな」
 窓の外をぼんやり眺めていた高嶋 幸成が、ちょっと驚いたように楽しそうな声音で呟いた。
 仕事に身が入らない社長の代わりに、この学院の生徒会長、渕上 崇成と、9月末に行われる学院祭でのイベントの件で打ち合わせをしていた近藤 充希が、
 「は?」
 と振り返る。
 「――ああ、二年生の綺麗どころですね。あの二人、仲が良いから。よく一緒にいますよ」
 渕上が、窓の外に目を遣って答える。
 「よそ見してないで、ちゃんと仕事しろよ。このボンクラ社長が」
  近藤が容赦なく頭をはたく。高嶋が代表で、近藤が統括部長。高嶋が大学に在学中に起こしたベンチャー企業の社長と副社長的な立場の二人は、この聖ステファノ学院のOBで元生徒会長と書記。同い年の腐れ縁的な二人だから、近藤は社長である高嶋に対して容赦はない。

 「手、出さないでね? 幸兄。僕の在学中に問題起こしたら、問答無用で今後の学院祭のイベント発注止めるから。あと未来永劫この学院に出入禁止」
 12歳年下の従弟である渕上が、爽やかな笑顔で云う。この出来る生徒会長の不出来な従兄、高嶋への容赦のなさはいつものことで、彼は普通に流す。
 人里離れた山の上の全寮制男子校、聖ステファノ学院。生徒の自治を重んじているこの学院では、生徒会の権限は普通の高校とはずいぶん違う。
 OB相手とはいえ、学院祭のイベントを担当する業者との交渉や打ち合わせも生徒会がするのだ。
 「未成年に手は出さないよ。犯罪だろ?」
 「最低限の常識はあるみたいで、安心したよ」
 「…どうだかねぇ」
 思わずこぼした近藤に、渕上は同情したように云う。
 「本当に近藤さんには、頭が下がりますよ。よくこんな節操無しの面倒ずっと見てられますね」
 節操無し。まさにそれだよなぁと、近藤は渕上の言葉に苦笑いを浮かべる。
 高嶋は、魅力的な男だ。この学院に在学中から、モテまくっていた。
 別に絶世の美男という訳ではない。成績は中の上、容姿もまぁ、男前の範疇には入るし、背も高いしスタイルも良い方だろう。だが、その程度の容姿なら別に珍しくもない。ここステファノの生徒は何故か顔面偏差値も高いのだ。渕上クラスの美形は別格だが。

 だが、モテた。という一点においてだけは、歴代会長の中でダントツ1位じゃなかろうかと、近藤は思う。
 モテるというのは、キャーキャー騒がれるとか、ファンクラブが出来るとかのアイドル的な意味だなく、「男」としてということで。
高嶋には妙な色気があって、勝手に向こうから言い寄ってくる。自分から口説いたり、気を引くようなことをしなくても。

 ――そして、平気で据え膳食うのだ、この男は。
 さすがに生徒会長の任期中は他の役員ががっちがっちにガードして、止めていたけれど。細かい校則や理不尽な締め付けはない聖ステファノ学院ではあるけれど、紳士たれという崇高な校是を掲げていて、素行や生活態度には厳しい。生徒会長の恋愛のもつれなんて言語道断だ。
 でも今思えば、絶対自分たちの目を盗んでつまみ食いはしてたんだろうな。と近藤は思う。

 そんな訳で高嶋の生徒会長時代の綽名はサードンファン。
 ヤリチン野郎にサーなんて敬称いるか?とは思うけど、ヤリまくってた割に、「都落ち」することもなく、修羅場もなく、無事に任期を終え卒業できた。人徳、というのはその言葉に対する冒涜のような気もするが、まぁ、人徳なんだろう。 
 子どもみたいに純真なところがあって、好奇心の塊で、新しいことや楽しいことが大好きで、ちょっと抜けてるとこがあるからか、余計に助けてやりたくなるというか、力になってやりたいとか、そういう風に周りの人間に思わせてしまう何かが、この男にはあった。
 だから、下半身には多大な問題のあるこの男と、生徒会でもその後卒業してからも、こうして一緒に仕事をしているのだろうと、近藤は思う。

 大学在学中にイベント運営会社を立ち上げ、業績は右肩上がり。起業してまだ10年足らずだが二人で始めた会社はそれなりの規模に成長し、今では多くの社員を抱えるまでになった。
 イケメン実業家としてマスコミに取り上げられることもしばしばで、この男も良い宣伝になるからと愛想よく対応するものだから、それなりに顏も名前も売れてしまっていた。
 だが、悪癖は一向に収まっていない。

 「在学中に比べれば、まだマシだよ。もういい大人だからね、そっち方面は干渉しないことにしてるし。――でも、マジで未成年はやめろよ?」
 重ねて近藤にも釘をさされた高嶋はふて腐れたように云う。
 「だーかーらー、見るくらいいいだろうが。目の保養だよ。充希も見てみ? 京人形とビスクドールが楽しそうにきゃっきゃうふふしてる。最高か」
 ここは教務棟の一番端にある応接室。隣の生徒会室からは裏山しか見えないが、角部屋のここの窓からは、中庭や渡り廊下が見える。
 9月初め、新学期が始まったばかりのまだ残暑厳しい放課後。渡り廊下の屋根の下、日差しを避けて二人の学生が談笑してる。教科書の入った鞄を足下に置いて、誰かを待っているのだろうか。

 一人は明るい茶色っぽい髪、夏だと云うのに顔も半袖シャツから伸びた両手も透き通るような白さで。花が咲いたようって形容はまさにこういう笑顔に使うためにあるんだろう。という綺麗な顏。高名な作家の最高級ビスクドールだ。
 もう一人は、同じような背格好だけど、日本的な顔立ちで黒い髪。ぱっちりおめめのビスクドールとは対照的な、切れ長の伏し目がちな目元。一見冷やかにも見えるけど、ビスクドールと話している口元が綻ぶと、ふんわりと優しい笑みになる。こっちは極上の京人形。陶器のような肌としなやかな身体のラインが色っぽい。

 藤娘とかの衣装着せたいなー。とにやにや妄想を膨らませる高嶋を、呆れたように二人が見ていることに本人は気付いていない。
 「確かに。対照的だけど綺麗な一対だな。あれはモテるだろ、どっちも」
 近藤の言葉に、
 「ええ、今うちにドンファンはいませんから、彼らはちゃんと大切に遠巻きに見守られてますよ。みんなのアイドルですからね」
 嫌味ったらしく、高嶋の方を見ながら云う。
 「それに西洋人形の方、茨木馨くんは多分来期の生徒会役員ですよ。…もしかすると会長かも」
 「え、あの可愛い子ちゃんが会長なんだ。うわー、いいなーその生徒会。俺も同じ年に生まれたかった。日本人形の方は役員とかにはならないの? 仲良さそうだけど」
 能天気な高嶋の言葉に、一瞬躊躇したあと渕上が続ける。
 「水無瀬くんはね、…奥ゆかしいんだよ。そういうのは苦手みたいで。委員はやってるけど、それ以上はやりたくないみたいだね。――生徒会と関わるなとは、幸兄の仕事上言えないけど、…水無瀬くんには関わらないでよ?」
 いつものきらきらした王子様然とした笑顔が、冷やかな笑みに変わる。細めた目が怖い。高校生相手に大の大人の近藤が怯むくらいには、渕上は別格だった。子どもだと、甘く見ることは出来なかった。
 「大丈夫、そこはしっかり見張っとくから」
 代わりに答えた近藤に、
 「お願いします。近藤さんが付いててくれなかったら、ぜったい幸兄の会社なんかにイベント頼みたくないわ。マジで」
 芯から嫌そうに、渕上が云う。その言い方が普通の高校生っぽくて、近藤は少しほっとした。
 「もう一昨年から、うちでやってるんだよ?。すでに定番化してるから諦めろ。他に頼めるような都合のいいイベント企画会社そうないぞ? OBのよしみで、採算度外視で協力してるんだからさー」
 へらへら笑いながら高嶋が云う。確かに、儲け考えてないよな、おまえ。と近藤は眉間に皺が寄る。学祭のイベントに関しては半分趣味とは公言しているが。
 「多少は儲けて貰わないとうちも頼みにくいから。その辺は近藤さん、よろしくお願いします」
 「ありがとう。そこはこっちの算段で上手くやるから。生徒会サイドの手を煩わすこともないと思うし、不手際のないように気をつける。ということで、今年もよろしくお願いします。渕上会長」
 丁寧に一礼した近藤に、渕上も頭を下げて、手を出す。
 「こちらこそ、お世話になります。こんな節操無しでも、イベントの企画力と人脈だけはあるみたいだから。――毎年好評なんです、生徒からも一般来場者からも。今年も期待していますね。どうぞよろしくお願いします」
 近藤は、笑顔で渕上と握手を交わす。その隣でいつまでも鼻の下を伸ばして窓の外をみている高嶋は、もう放っておくことにした。




 「慎一は、まだ帰んないの?」
 今日は文化部の活動日。茶道部のお稽古はもう終わったけれど。
 お茶碗や、お道具を片付けている水無瀬慎一に、馨が声を掛ける。
 今日は教授が来られないので、お稽古は早めに切り上げられた。当番の馨と慎一を残して、他の部員はもう帰っている。
 「うん。別に急ぐ用もないし、せっかくだからもうちょっと掃除してから行くよ」
 「手伝おうか?」
 「大丈夫。…こっからは僕の趣味だから」
 にっこり笑った慎一に、
 「あー、慎一ってほんと綺麗好きだよね」
 感心したように馨がいう。
 「ふふ、でも小姑みたいだからね、こういうときしか思い切りできないだろ?」
 「確かに。僕は大雑把だからなー、邪魔にならないように、先に帰っとくね」
 そう云って馨は先に、芭蕉庵を後にした。
 馨を見送ってお茶室に戻ると、布巾の古くなったのを活用した雑巾を濡らして固く絞って、お茶室の柱や鴨井や敷居を磨く。障子や木戸の桟の隅っこも。
 部室やお茶室の掃除は当番制で、いつもきちんとされてはいるが、毎回隅々まで完璧にとはいかない。当番の生徒の気分次第なので、知らず知らずのうちに見えないところ、普段触れないところに少しずつ汚れや埃が溜まっていく。
 普通は年末の大掃除でやるようなレベルの掃除を、慎一はときどきこっそりやっていた。それこそおおっぴらにやると、他の生徒の掃除が行き届いていないと言ってるようなものなので、誰もいないときに一人で。
 でもそれは馨が言っていたように、綺麗好きというのは少し違っていた。自分の部屋に対しては割りといい加減だしね、と慎一は思う。
 おばあちゃんちに居た頃の癖かなと思う。

 慎一の祖父母は昔ながらの長屋住まいで、その住まいは畳と木の柱と漆喰の壁、火袋のある通り土間に坪庭という、いわゆる京町家だった。
 実家の和菓子屋は全国レベルになり過ぎて、店というより会社で、父も職人じゃなくて経営者だ。母も一緒に会社を経営しているような状況で、家にいないのが当たり前。慎一は祖父母に育てられたようなものだった。
 祖父母とは同居はしていなかったが、すぐ近所に住んでいて、慎一はその長屋に小さな頃からよく預けられていて、よくお手伝いをさせられていた。
 朝は玄関土間から、表の路地を毎日掃き掃除、休みの日には板間や縁側、木戸など家の木部をかたく絞った雑巾で拭き掃除。それを小さな頃からずっと続けていた。

 そのせいか、こういう木造の建物を見ると無性に掃除がしたくなる。
 隅に埃とか見つけると気持ち悪いのだ。小さい時の習慣って恐ろしいなと慎一は思う。
 茶室と水屋の中を気が済むまで掃除して、ほっと一息ついた。
 ここは山の上に立つ学校で、その敷地内でも端っこの山際にあるこの芭蕉庵は、真夏でも比較的涼しい。至る所に木陰もあるし、風も通る。それでも、室内で動いていると暑くなってきた。
 慎一は汗を拭って、箒を持って表に出た。
 露地と待合の前の掃き掃除もやっておこうかなとそっちを見遣ると、待合に誰かが腰掛けている。

 生徒ではない。まだ若い男の人。
 スーツは着ていないけど、一応ジャケットにきれいめのパンツという、ラフ過ぎない恰好。大学生にしてはキチンとしてる気がするけど、サラリーマンぽくない。自由業の人だろうか。
 そんなことを思いながら、慎一はなんとなくその人を観察していた。
 待合は庭に向いている。彼の視線は芭蕉庵の由来となっている浅く広い池の方を向いているから、戸口の影に立つ慎一は彼の視界に入らない。
 彼の視線の先の光景は、池と云うより湿地のような沢で、山から引いた湧水が流れ込み草の間に所々見える水面が夕日を反射してきらきらしている。水芭蕉の花の時期はもう終わったけれど、まだ葉は青々としていた。

 襟足は短いが、長めの前髪は後ろにラフに流されていて、生え際の綺麗なすっきりした額が見える。
 目尻が少し下がった目元は優しそうなのに、大き目の口としっかりした顎のラインは男っぽくて、なんだかアンバランスな印象を与えた。組んだ足の上に肘をついて、顎を載せている手はがっしりと大きい。
 セクシーとか色っぽいって女性に対する言葉だと思っていたけど、こういう男性にも使える言葉だったんだな、と慎一はついそんなことを考えてしまっていた。
 それに、表情が――。
 どこを見るともなく、たぶんぼーっとしてるだけなんだろうけど。多分これがこの人の「素」の顔で。
 素の顏には、本性が出る。と祖母が言っていたのを思い出す。誰かに見られることを意識していないときの表情が、その人の「素」なのだと。
 下がった目尻のせいなのかもしれないけど、大人の男の人で、こんなにワイルド系な容姿なのに、柔和なふんわりした雰囲気。
 慎一は、見知らぬその人を、いつのまにか見つめてしまっていた。

 ふ、とその人がこちらを見る。
 目が合った。内心動揺しつつも、今さら目を逸らしても手遅れで、慎一は男と目があったまま固まった。
 「水無瀬くんだ。――茶道部だったんだね」
 ひょいと軽く立ち上がってこっちに来る。なんで名前を知ってるんだろうと、慎一は思わず首を傾けていた。
 「あ、ごめん。不審者じゃないよ? って自分で言うと余計あやしいか。えーと、僕はここのOBで高嶋と云います。君の名前は前に渕上会長に教えてもらったんだ」
 近づいてきた男は、慎一の目の前に立つと慣れた仕草で名刺を差し出した。聞いたことのある会社の名前、学院祭のイベントを頼んでいる会社だと、思いあたる。この学院のOBの人が立ち上げた会社だと聞いたことがあった。
 受け取った名刺から顔を上げると、高嶋と名乗った男は、なぜかにこにこと嬉しそうに慎一を見ていた。
 背髙いなぁと、見上げる。170㎝にまだ届かない慎一より、頭一つ分は高い。広い肩幅。ネクタイはしてなくて、襟元から覗く喉仏辺りが、ちょうど目線の位置。
 名刺の名前は、高嶋幸成。

 (肩書きは代表だから、社長なんだ。いくつなんだろう。まだ若いよね?)

 黙って見上げてるだけなのに、慎一の疑問は顔にでも出ていたのか、高嶋は楽しそうに続ける。
 「OBって言ってももう卒業して10年以上経つから、全然面識はないもんな、ただの知らないおじさんだ。びっくりさせちゃったかな。――今日は学祭の件で打ち合わせにきてて、帰る前にちょっとお散歩させてもらってたんだよ。ここ、涼しいし気持ちいいから。…勝手に入ってごめんね」
 初対面なのに、ものすごく距離感近い人だなと思う。嫌な感じはしないけど。
 「いえ。ここのお茶室は有名だし来校者が見学に来られることはよくあるので。どうぞごゆっくりしていって下さい」
 慎一は笑顔を作って答える。そつのない愛想笑いは条件反射だった。
 「水無瀬くんの下の名前はなんていうのか、聞いてもいい?」
 「…慎一です」
 「どんな字?」
 「立心べんに真実の真と、数字の一です」
 「ああ、慎ましいの慎だね。うんぴったり。奥ゆかしい名前だ」
 にこにこと、普通に褒められた。
 軽い。照れずにさらりと褒め言葉が出てくるタイプの人みたいだと思う。社交辞令だろうけど。
 慎一の名前は、今どきのキラキラネームをつけそうになってた母を黙らせて、昔気質の祖母がつけた。彼の云う通り、慎ましく堅実に生きて欲しいと。
慎一は自分の地味な名前を気に入っていたし、こっぱずかしい名前を付けられずに済んで祖母には本当に感謝している。
 「幸成さんも、素敵なお名前ですね。――幸いを成す、なんて。周りの人みんなを幸せにしてくれそう」
 慎一も、ついそんなセリフを口にしていた。

 お世辞ではなく、素敵な名前だなと本当にそう思った。彼の持つ温かい雰囲気にぴったりの名前だと。
 名刺の文字に目線を落とす目元には、長くて濃い睫が影を落とし、柔らかそうな唇はふわりと微笑みの形を作っている。
高嶋は、その微笑みから目を離せないでいた。
 つと目を上げて自分を見た慎一に、高嶋は見つめていた目を伏せ、顔を寄せて言った。
 「その携帯番号いつでも繋がるから。また声を聴かせて」
 …これってナンパされてるのかな? と慎一の笑顔が固まる。
 「それじゃ、お邪魔しました。またね。慎一くん」
 にっこり笑ってそういうと、高嶋は軽く手を振って去って行った。

顏が近付いたとき、ふわりと心地いい匂いがした。腰にくる低い声で囁くように、声を聴かせてなんて――。
 遊んでる。あの人めっちゃ遊び人だ。と慎一は遅れて赤くなった顏に手をやる。
 絶対電話なんてしないけど、貰った名刺をどうしようかと迷って、慎一は生徒手帳のIDカードの裏に挟んでおいた。
 捨てるのは失礼だし、サイズ的にここにいれておくのがちょうど良かったから。――ただそれだけのことだ。




 「馨はこっち」
 慎一は、針を持とうとしていた馨に、鋏とマチ針で留めた布を渡す。
 「マチは1センチくらい、で、ここのカーブのところは5ミリ間隔くらいで切り目を入れるんだ。こんなふうにね」
 見本に切った奴を見せながら説明した。
 馨は難しい顏で聞いている。見本の切り目を見ながら、ぱちぱちと瞬きしながら訊く。
 「これ、このラインぎりぎりまで切れ目入れるの?」
 長くてくるんと上がった睫が揺れた。
 「そう。その方がカーブとか丸みが綺麗に出るんだ。布がもたつかないから」
 「うーん。わかった」
 「ゆっくりでいいよ。マチ針刺さらないように気を付けてね」
 慎一は、真剣な顏で鋏を持つ馨を見て微笑む。
 放課後の空き教室。教務棟の生徒会室に近いこの空き教室は、各クラスから選出された学級委員とその中から選ばれた役員とで構成される生徒会の会議や活動に使われている。

 ここ聖ステファノ学院は、知る人ぞ知る良家の子息向けの全寮制の男子校だ。一般での知名度は低いが、歴史は長い。
 普段生徒たちが過ごす校舎も寄宿舎も新しい建物だが、この教務棟は古い木造の旧校舎で、重要文化財クラスの瀟洒な近代建築だった。
 さっきまでこの部屋では、12月24日の生誕祭と、25日の聖ステファノ祭に向けての生徒会の会合をしていた。
 名前から分かる通りここはミッション系の学校なので、学内に教会がある。
生誕祭は、講堂で中等部がキリストの生誕劇を披露して、そのあと教会で賛美歌を歌い、礼拝。それはほぼ毎年恒例の行事なので問題はない。問題は25日の聖ステファノ祭だった。

 ステファノ祭とは、慈善団体への寄付金を集めるためのバザーのことで、その日は学院が一般に開放され、生徒たちが作った手作りの品物を売って寄付金を集める。
 体育祭は運動部、学院祭は文化部という括りで行われるが、聖ステファノ祭は準備や販売等、全てクラス単位で行う。
 何を作るかによって掛かる費用や、作業の難易度も変わる。予算は上限はあるが割りと潤沢だし、手を抜いて楽をしようと思えば楽を出来るけれど。

 この学院の校風なのか、ここの生徒はお祭り好きで、競争意識も高い。クラス単位で売り上げの順位はきっちり集計して発表するから、何かご褒美があるわけではないけれど、やっぱり一番になりたい、上位に入りたいと思う。
 それに、これは慈善事業だ。買う人もこれが寄付金になると知っているから、半分は募金のつもりで買ってくれる。だから、逆に手は抜けなかった。買ってくれた人が喜んでくれるクオリティが高いものをたくさん作って、たくさん売って、寄付金の額を上げたい。もちろん全体の売上も発表されるから、前年度より金額が上がればそれも嬉しい。
 そういうわけで、聖ステファノ学院では体育祭が終わってからの2ヶ月弱の秋冬は、不器用さんも否応なしに総出でハンドメイド小物作りに没頭する季節だった。
 

 今この教室で残っているのは、馨と慎一の二人だけだ。今日は運動部の活動日だった。
彼らの所属する弓道部は、今日は自由参加の基礎練だけだから、出品物の制作を優先した。
 二人が今作っているのは、生徒会の出品物。通称「生徒会ベア」と呼ばれているテディベアだ。
 バザーは基本クラス単位で出品するが、それとは別枠で、生徒会と手芸部は毎年独自で出品販売することになっていた。手芸部はやっぱりプロ(?)なので、毎年工夫を凝らしたお洒落な雑貨屋レベルの作品を揃えてくる。
 生徒会は代々、卒業生の先輩から譲られた制服の生地を使って、テディベアを作る。
 黒に近い濃紺とチャコールグレイの細かいグレンチェックの生地を組み合わせて作る、掌に載るくらいの小さめの縫いぐるみは、渋めのカラーで大人向けの雰囲気だった。

 型紙は手芸部が用意してくれて、形は年に寄って微妙に違いがある。ネクタイの臙脂色の生地を使って年度の刺繍の入ったタグを付けるのだが、そのタグの位置もその年々で変わる。好きな人は毎年買ってくれるコレクターズアイテムのようになっていた。
 基本は生徒会役員の担当だが、6人では作れる量が限られてくるので、他の委員も出来る範囲で手伝うことになっていた。

 「はぁ、でもこれ難易度高すぎない? 縫いぐるみってこんなに手がかかるんだね」
 馨は、ため息交じりに布地と格闘している。確かに、曲線だし小さなパーツがいっぱいで、切るのも縫うのも手間が掛かって難しい。
 「だね。でもさ、これって凄くいいアイディアだと思うよ。最初に思いついた人偉いよね。材料費タダだし、エコだし、うちの制服って良い生地使ってるから、捨てるの勿体ないもん」
 慎一はしゃべりながらも器用に馨が切ったパーツを縫い合わせていく。馨は、思わず手を止めてその手の動きを見つめていた。
 「慎一、上手いよね。やったことあるんだ」
 「あるよー。てか、小学校のとき家庭科の授業でやっただろ? 馨も」
 「う、それはそうだけど。でも、慎一のはそういうレベルじゃない気がする。凄くスムーズだよね、針の動きが」
 「そう? 久しぶりだけどね、針持つの。僕おばあちゃん子だったから、教えてもらったんだ。――おばあちゃん、浴衣くらいなら自分で仕立ててたし、着物の寸法直しなんかも普通にしてたから。そばで見てると、針の動きとか本当早くてあっという間に縫い上がるんだ。糸を通したり、切ったりそんな仕草も綺麗でさ。ずっと見てたら、あんたそんなに暇なんやったら、手伝いよし。って、布巾とか袋もの縫わされたりして」
 二人で、ちくちくチョキチョキ作業を続けながらおしゃべりをする。

 「へー、すごいね、慎一のおばあさん。もと芸妓さんだっけ? そんなことまで出来るんだ」
 「昔の人だからね、自分で出来ることは自分でって感じ。――そういえば、幼稚園の入学時に名前入りの絵本バッグとかお弁当袋とか、用意しなくちゃいけなくてさ、手作りする人がほとんどみたいなんだけど、うちのお母さんはそういうの全く出来ない人だから、ネットかなんかで発注して揃えたんだ。そしたらおばあちゃんがブチ切れて全部手作りしてくれたんだけど…、めちゃめちゃ険悪だったよ、しばらく」
 にこにこ笑いながら、そんなことを云う慎一に、
 「それって、嫁姑的な?」
 馨が若干引き気味に恐る恐る訊く。

 「んー、性格も価値観も正反対だからね、でも合わないだけで、別にドロドロはしてなかったよ。二人ともあんまり裏表がないし言いたいこと言ってたから、そんなに拗れてはいない」
 「そっかー。そういえば麗や久継の幼稚園準備、うちのお母さんもネットで注文してたよ。身近にお姑さんいたら怒られたかも。別居であんまり関わりなくて良かった」

 茨木家の祖父はもう亡くなっていたが、祖母は健在だった。けれど、馨の母との結婚には反対していて、結婚後もほとんど交流はないらしい。
 馨の家庭の事情は複雑だが、二人は普通に話す。慎一は知っているし気を遣ったり遣われたりはしない。お互いに、気楽に何でも話せる関係だった。

 「ふふ。馨んちは、お母さん溺愛されてるものね。何やっても許されるんじゃない? あ、料理は上手だよね」
 「…んなわけないだろ。あの稲荷ずしで精いっぱいだよ? 田端さんいないとうちの食生活って成り立たない気がする」
 「美味しかったよねー、あのお弁当。家にシェフがいるとかどんだけセレブなんだか…。でも、あのお稲荷さん、好きだよ僕は」
 「うん。でも廉たちにはキツかったよね」
 体育祭のときのランチを思い出して、くすくす笑う馨。

 同い年の友達に対して守ってあげたいって思うのは変かもしれないけど、慎一は馨の笑顔を見るたびに、やっぱりそう思ってしまう。
 自分がけっこう裏表のある冷たい人間だという自覚はあるので、見た目そのままの性格の馨は、本物の天使に見える。素の顏も優しくて純真さそのまんま。本音を隠して常に愛想笑いを浮かべているような自分とは大違いだと思う。 
 「でもお稲荷さんって、けっこう甘めの方が美味しいよねぇ?」
 慎一がちょっと顔を傾けて、見上げるように笑いかけると、
 「だよね~」
 馨も同じように小首を傾げてふわっと嬉しそうに笑う。ああ可愛い。マジ天使。

 「うんうん。そうだよね~」
 聞こえてきた相槌に、二人は驚いてその声の方へ目を遣る。
 通りがかったらしい高嶋が、開いたままだった戸口に凭れてこちらを見ていた。笑い合う二人のその可愛らしい姿に、高嶋は鼻の下を伸ばして楽しそうだ。
 「高嶋さんも、甘党ですか?」
 なんでここにこの人がいるんだろう?と固まった慎一をよそに、馨が普通に話しかける。
 今期から生徒会長になった馨は、イベント関係で交流のある高嶋のことは引継ぎで教えて貰っているだろうし、顔くらいは前から知っていたかもしれないけど。
 「うん。嫌いじゃないよ。甘いモノ。――慎一くんは、関西出身? 可愛いなぁ、お稲荷さんって。もう一回言って?」
 高嶋は後半慎一の方へ視線を移して云う。
 「嫌です」
 慎一はにこにこ笑顔で、でもバッサリ断る。
 「えー、なんで? 関西ってなんでも『ちゃん』とか『さん』つけるだろ? 飴ちゃんとか、お豆さんとか。あれ好きなんだ。イントネーションも可愛いし」
 「あ、そうなんです。慎一は京都出身ですよ。普段はきれいな標準語だけど、ときどき単語のイントネーションが可愛いんです。お稲荷さん? うーん、マネ出来ないけど、可愛いですよね」
 微妙に違うイントネーションの馨の『お稲荷さん』。慎一はこんな遊び人にその可愛い顏でそんな単語を口にするんじゃないと、言いたくなる。言わないけど。…あれ?こっちではそういう隠語じゃないのかな。ってそういうことじゃなくて。
 慎一は貼りつけた愛想笑いをどうにかキープしながら、
 「今日はどういった御用で、こちらに?」
 わざと丁寧に訊く。
 「んー、学校から来年度の創立150周年の記念行事について、いろいろとうちの会社に依頼して貰えたんだ。あ、学院史みたいな形で記念本も出すんだって。そういう本作るとなると時間かかるし、学院祭のイベント以外にも、これからちょこちょこお邪魔すると思うよ。もしかしたら生徒会にお手伝いを依頼することもあるかも。そのときはよろしくね」
 「もちろん。何かお手伝いできることがあれば遠慮なくおっしゃって下さい」
 馨は生徒会長の顏で、愛想よく対応する。ただでさえ忙しいのに、放っとけ。と云いたいけれど、慎一は部外者なので口は出さない。

 「それはそうと、慎一くん。なんで電話くれないの? 待ってたのになー」
 いつの間にか教室に入ってきていた高嶋。二人が座る席のそばまで来て、拗ねたような口調で云う。馨は驚いた顏で慎一を見る。
 なんだその馴れ馴れしさは。100%誤解されるセリフだろう。
 慎一は心の中で舌打ちをした。
 「たまたま顔を合わせた方に頂いた名刺の電話番号に、社交辞令を真に受けて電話をかけるほど世間知らずじゃありません。ていうか、用もないですしね」
 一応笑顔を保ってはいるけど、たまたま、の部分を強調して淡々と返した。
 「えー、社交辞令じゃないのに。あ、電話じゃハードル高いなら、ライン教えて? こっちの方が気軽にやり取りできるしな。うん、そうしよう」
 人の話を聞いているのだろうか、このおじさんは。馨はぽかんとした顔で二人のやり取りを眺めてる。
 「何をやりとりするんです? 僕は生徒会役員じゃないですし、高嶋さんとは何の接点もないですけど?」
 さすがに愛想笑いも消えて、慎一は呆れた顔で高嶋の顔を見上げる。

 高嶋はなぜか嬉しそうに笑ってしゃがむと、椅子に座った慎一と目の高さを合わせた。笑顔になると目尻がもっと下がって、なんだか可愛い。と思ってしまった自分に驚く。表情には出さないけど、顔の距離が近くて、ドキドキする。
 「おはようとか、おやすみとか、今日は何食べた? とか?」
 絶句。どこのいちゃこら恋人同士のラインなんだ。接点については無視ですか。
 いそいそとポケットからスマホを出して操作すると、高嶋は机の上に置いていた慎一のスマホに手を伸ばす。
 「はい。ライン開いて?」
 自分のスマホを手渡される。言われるままにロックを解除して、ふるふるしてしまった。この笑顔とこの距離感に流される。…なんとなく彼の会社の急成長の理由が分かった気がした。営業でも販売でもホストでもすぐにトップに立てそうだと、慎一は思う。ごり押し対人スキル半端ない。

 登録後すぐに、『愛してるよ』と、投げキスしてるヒヨコのスタンプが届いた。JKか。軽すぎる。
 慎一は『きも。』と一言返した。スタンプなど押さない。
 机に置いたまま返信してるので、馨にもその画面は見えている。今まで先輩や同級生に口説かれても、そつなく上手くはぐらかしてきた慎一のいつもとは違う失礼な文言に、馨は固まっている。
 「ははっ、いいなぁ、可愛いね、慎一くんは」
 返信された本人は、それを見て嬉しそうに笑った。全然こたえてない。

 呆れるのを通り越して、可笑しくなる。
 思わず吹き出してしまった慎一を見て、それまで呆気にとられていた馨も笑いだした。
 笑っている二人に、高嶋はご機嫌で。
 「懲りひん人やね、高嶋さんて」
 わざと京都弁で呆れたように云った慎一に、
 「うわー、萌え死ぬ」
 と顔を覆う。オタクか。
 「毎日欠かさず、ラインするよ」
 がばっと顔をあげた高嶋に手を握られた。わんこみたいな顔で。
 「毎日とかウザい」
 「う、じゃあ、ときどき?」
 「…たまになら」
 「えー。――ま、いっか。とりあえず接点は持てたし」
 そう云って立ち上がった高嶋は、急に大人の男の顏になる。
 「さて、そろそろ行かないと。実は連れを待たせたままなんだ。じゃあ、またね。馨くん、慎一くん」
 高嶋は軽く手を上げて教室を出ていく。そういう姿は大人でカッコいいのに。この落差はなんなんだろうか。
 茫然と見送っていた二人だが、
 「なんか、変わった人だね…。高嶋さんて」
 馨がぼそっと言った。
 「だね。――でもちょっと面白い。かな」
 ついそう答えていた慎一に、少し眉を上げた馨が、意味ありげにふふっと笑った。
 

 消灯時間を過ぎた自室。お風呂も入って、まだ寝るには早いし明日の予習でもしようかなと机の前に座った慎一は、何気なく机の端に置いたスマホに手を伸ばした。
 毎日するなと云ったのは自分で、それは今日の夕方のことだから、今日メッセージが届くことはないだろうけど。
 ラインの通知が届く度に彼を思い浮かべてしまう自分に戸惑う。
 慎一は高嶋とのトーク画面を開いた。
 『愛してるよ』とか冗談でも言われたことはない。軽すぎて引く。『きも。』とか返してしまった自分にも。

 画面を見つめながら、ため息をつく。
 慎一は、キモイとかウザいとか、そういう言葉を日常的に使うタイプではない。ずっと優等生でやってきたのだ。家を出てこの学院に入ってからは余計に。

 今思えば生意気なガキの自惚れだと恥ずかしくなるけど、慎一は昔から勉強も出来たし、感情の抑制も出来る可愛くないタイプの子どもだった。同級生が子どもっぽく見えて、冷めている自分はなんだか異質な気がしていた。
 そんなとき、九条のおじい様に彼の母校であるステファノ学院への進学を勧められた。
 慎一の母方の実家である九条家は、傍流とはいえ摂関家の流れをくむ名家だった。祖父の篤伴は政財界の黒幕と云われた人物で、年老いた今でもその影響力は計り知れず、九条家の保有する資産は桁違いだった。
 家出同然に家を出て京都の和菓子屋へ嫁いでしまった愛娘。その一人息子である慎一を、篤伴は近くに呼び寄せたくて仕方なかったのだ。
 普通に、目立たず、地味に学生生活を送りたい慎一は、そのことを隠していたが。

 親元を離れて全寮制の学校に入るなんてと、仕事にかまけて息子は放ったらかしだったはずの両親は反対し、意外にも、いつもそばにいて可愛がってくれた祖母は賛成した。
 環境を変えたいという気持ちがどこかにあったのだと思うが、最終的にこの学院に進学することを決めた理由は、祖母の意外な一言だった。

 『おばあちゃんの、初恋のお人はなぁ、ステファノの卒業生やったんえ』

 少し恥ずかしそうにそう云った彼女の表情は少女のようで、厳しくて男っぽいさばさばした性格の祖母が、初めて可愛いく見えた。
 花街育ちで舞妓から芸鼓になり、京都でも一、二を争うお大尽の旦那がいた祖母の初恋。
 舞妓時代に、その旦那さんが連れてきた東京の人がステファノ出身だったらしい。ほんの2,3回お座敷で会っただけの人だけど、男っぷりも遊び方も洗練されていて、東京の男など無粋な朴念仁ばかりだと思っていた祖母が、初めてときめいた相手だった。

 もちろんそれは祖母の片思いで、ずっと胸に秘めてきた想い出だったそうだ。
 そして祖母は、ああいうお人が学ばはったところやったら、あんたもきっとええ男はんになれるえ。と微笑んだ。
 あの祖母を惚れさせるようなカッコいい男になれたらいいな。という、そんな軽い動機で決めた進路だった。だが、実際に入学してみれば、家族と離れて一人も知り合いのいない寮生活、すぐにホームシックになって、寂しくて、思っていたよりずっと子どもだった自分を思い知らされた。

 早くこの学校に溶け込みたくて、皆と上手くやりたくて、でも自分をさらけ出すのはなんだか怖くて。気が付くと、すっかり猫かぶりの優等生の仮面が染みついてしまった。
 これはこれでもうすっかり身に着いた処世術のようなもので、今ではこの大きな猫を含めて自分なのだと思っていたけれど。
 彼の前では、なんだか素が出てしまう。まだ会ったばかりで、何も知らない。自分よりもずっと大人なのに、無邪気に懐いてくる子どもみたいにすっと懐に入り込んでくる――。

 なんとなく眺めていた画面に、不意にメッセージが届く。

 『まだ、起きてる?』

 しまった。すぐに既読が付いて、今自分がこの画面を開いていたことがバレてしまっただろう。ああ、っもう!と悶える。
 慎一は、うざいと云いながら待っていたみたいで、恥ずかしかった。

 『今日は会えて嬉しかったよ』

 『毎日はダメって言われたけど、回数制限はなかったから、今日のうちにと思って』

 …なるほど、そう来たか。こっちがこの画面を見ているのがわかってるから、返事を待たずに送ってきてるなと慎一は思う。今さら閉じても遅いから、このままにしておく。返事はしないけど。既読スルーだ。

 『生徒会ベア、慎一くんの作った奴予約しておいていいかな? ステファノ祭はそっちに行くから』

 (――僕の作ったテディベアが欲しいの? いい年したおっさんが自分のために縫いぐるみ買う気?) 

 自分の顏が赤くなってるのが分かる。本当にこの人はどこまで本気でどこまでふざけているのか分からない。
 でも、代々の生徒会ではどういう分担で作っていたかは知らないが、今年度は、流れ作業の分業制なのだ。型紙を布に移す。布を裁つ。パーツごとに縫い合わせる。綿を詰める。パーツを縫い合わせてタグを付ける。目をつける。等を分担してやるから、一つ一つを1人で作り上げたりはしない。
 『慎一くんが作ったテディベア』と云われても、どれを指すのか。全部といえば全部だよね。と悩む。
 しばらく画面を眺めて考えたあと、返事をした。

 『いいけど、高いですよ?』

 『言い値で買います!』
 
 速攻返信が来た。躍り上がって喜ぶサイのスタンプ付きで。サイ?――可愛いけど。

 (まぁ、寄付だからね。ふっかけてやろうっと)

 慎一は、いたずらっ子のように笑う。彼はこういう意地悪な自分をどこまで呆れずに構ってくるのかな?と思いながら。





 「遅い! まったくお前はいつもふらふらと。どこで油売ってた?」
 校門の外、車を横付けして待っていた近藤がやっと戻ってきた高嶋を睨む。
 近藤の身長は高嶋とそう変わらないが、黙っていれば細身で理知的な学者のような雰囲気。手足のパーツが大きく骨太でがっしりした体型の高嶋と並ぶと対照的だ。
 高嶋の前限定で口が悪くて怒りっぽくなるから、その雰囲気は途端に霧散する。
 「いやー、もうそんな季節なんだなーと思って」
 助手席に乗り込みながら、いつもの調子でへらへらしている高嶋。
 「は?そんな季節って?」
 近藤は滑らかに発車させながら訊く。
 怒っててもイラついていても、近藤の運転は穏やかで乗り心地が良い。安心してハンドルを預けられる男だった。車の運転には性格が出るというが、当たってるなと高嶋は思う。

 「ステファノ祭。委員会室で、あの可愛い子ちゃん二人組がテディベア作ってた。今日もいい目の保養が出来たわ~」
 「それは眼福。って…お前ちょっかいだしてないだろうな? 見るだけにしとけよ」
 「分かってるって」
 ライン登録したとか、絶対言えないな。と高嶋はとぼける。
 「生徒会ベアはいい収入源だしな。――てか嫌な思い出が蘇ってきたぞ」
 近藤は急に不機嫌な顏になる。高嶋は、しまった、余計なことを言ってしまったと思ったが、後悔先に立たず。

 「思いだし笑いならいいけど、思いだし怒りはやめとけ。不毛だぞ? もう昔のことなんだから」
 しれっと云う高嶋。
 「…一人最低十体っていうノルマだったのに、おまえ三日前になって全然出来てないって泣きついてきたよな? そのときのセフレだった手芸部の奴に作らせるつもり満々だったくせに、怒らせて断られて。若干修羅場だったよな? 自分の分だけでも手一杯だったのに、絆創膏だらけの手で役員全員寝ずに裁縫するはめになったんだぞ。 マジ思い出したくない地獄の三日間だわ」
 「なら、思い出すなよ~。ちょっとは手伝っただろ?綿つめとか。 悪いと思ったから販売はほとんど俺一人でやったし。あっという間に完売だったし」
 全然悪びれない高嶋に、近藤は深いため息をつく。
 「そもそも、始めから無理なら無理といってくれれば、その予定でこっちでなんとかしたのに。トラブルメーカーめ」
 とまだぶつぶつと文句を云う。

 「いや、俺もさー、自分であんなちまちました裁縫なんて出来る気しなくて。一応売りもんなんだから、家庭科の課題みたいになんでもいいから形になればいいってもんでもないだろ? おまえら他の役員に俺の分押し付けるのも申し訳ないなー、って一応気を遣ったんだぜ」
 「で、他の奴に頼むのかよ。せめて生徒会の任期中は下関係は慎んでくれってあれほど口酸っぱくして言ってたのに、いつのまにかセフレ作ってるし」
 「あ、それは誤解。一応節制してたぞ? あのときはさ、俺裁縫苦手だから、テディベアのノルマ出来る気がしないって、手芸部の子にちょっと愚痴っちゃったんだよな。そしたら、一回だけ抱いてくれたら代わりに全部作りますって言うから。つい」
 「初耳だ」
 「お前ら怒ってるし、忙しいし、そんな事情話してる状況じゃなったし。てか、言い訳は聞きたくない!っていっつもすぐブチぎれてたじゃん。おまえ」
 「毎度のことで、いちいちお前の言い訳聞く気力なんぞなかったわ」
 「ちえー、俺だって会長やってるときは結構ガマンしてたのに。――だから、一回だけのつもりだったんだ。だけど、向こうがしつこくてさ、こっちも機嫌損ねてテディベア作ってもらえなくなるの困るから、しょうがなく何回か相手してたんだよ。で、三日前になって、出来たから渡すって云われてそいつの部屋行ったら、好きだって、ちゃんと自分と付き合ってほしいって言われちゃってさー」

 「…だから簡単に据え膳食うなっつってたんだよ。皆が皆お前みたいに割り切ってセックス出来る奴ばっかりじゃないと、何回云えば」
 ため息をついた近藤に、
 「でも、約束破ってきたのは向こうだぞ。最初は一回やるだけって云う交換条件だったのに。付き合えとか、反則だろ? 断ったら、じゃあ、ベアは渡せないっていうし。面倒くさくなってきて、じゃあいらないって言っただけだよ? なのに、部屋を出た俺を泣きながら追っかけてくるもんだから、俺がもて遊んで捨てたみたいな感じになってるし」
 悪びれもせずに高嶋は愚痴った。反省の色は見られない。
 「まったく…、ほんとあの時はマジでお前の都落ちを覚悟したよ、俺は」

 幸い目撃者は少なくて、振られた本人も言い触らしはしなかったし、いつものように副会長以下他の役員が必死に火消ししたから、それほど噂にはならずにすんだけれど。
 生徒会長の都落ちなぞ前代未聞だが、前科もたっぷりあったし、その年の風紀委員長は融通の利かない堅物で有名だった。

 「それは大丈夫だろ。風紀委員長こそ、俺のセフレだったもーん」
 それこそ初耳だった。卒業後10年以上たって知らされる衝撃の事実だ。
 「――マジか? あの堅物の委員長と? てか、あいつ全っ然可愛い系じゃなかったろ? まさか、…お前が下?」
 「冗談! いっとくけど俺処女だからな? それは一生守るから」
 処女っていうな。そもそも概念が間違ってる。守ろうが捨てようが勝手にしてくれと近藤は思う。
 「さすがに俺よりデカいゴリむちマッチョには勃たねぇと思うけど、坂口くらいなら全然許容範囲。けっこう良かったよ、あいつ。都落ち匂わせて口説いてきたときは、一瞬ムカついたけど。そんな上からでもなかったし、お願いされると断れないんだよな~」
 へらへら笑って云う。

 同じ学年で風紀委員長だった坂口は、身長こそ高嶋より低いが柔道部の部長でもあり、重量級ではないがガタイは良かった。容姿はいかにも体育会系の短髪で、綺麗でも可愛くもない十人並みの普通の男だ。
 ちなみに「都落ち」とは、姉妹校である聖ステファノ学園への転校を意味する。学院に相応しくないと判断された学業や素行に問題ある生徒は、共学で普通の金持ち学校である学園への転校を勧められるのだ。
 それははっきり言われないだけで実質的な退学処分で、普通は断れるものではなかった。

 素行についての調査や報告は風紀委員長の仕事だった。
 最終的な判断は学校側がするが、まったくの濡れ衣でもない限り、大抵は学校側に報告がいった時点でもう決まったようなものだった。
 「坂口はちゃんと経緯を説明したらわかってくれたぞ? でっかいため息一つで、何も言われなったし」
 近藤は、そのため息にどれだけの感情が込められていると思ってるんだ。と説教したくなったが、多分無駄なのでやめた。

 「もう学院時代のことは今さらだから良いけどな…。――いい加減おまえも落ち着こうとか思わないのか?今年でもう30だぞ、俺たち」
 「そうなんだよなぁ。中身なんて大して学院時代とそんな変わんないのに、年だけはどんどんくっていくんだよなー。でも、そもそもお前の云う落ち着くっていうのが俺にはよくわからんし」
 「いつまでもガキだな、お前は。まあ、俺も精神年齢と実年齢が相応してるとは自分でも思ってはいないけど。…いつまでもふらふらしてるお前を見てると将来が心配になってくるわ。別にゲイってわけでもないし、今は女のセフレも多いんだろ? もうそういう遊びの付き合いはやめてさ、ちゃんと恋愛してみろよ」

 近藤はもう結婚しているし、去年子どもも生まれた。スマホのホーム画面は嫁と赤子のツーショットという愛妻家だ。
 一方高嶋は決まった相手がいたことがない。来る者拒まず去る者追わずで、自分から誰かを口説いたこともない。勝手によってくる人間で欲望を満たすだけ。
 性欲はある方だし、ストライクゾーンが広いおかげでとんでもない遊び人に成り下がっているが、高嶋が不誠実なわけでも悪い男でもないのは近藤もわかっている。性的な分野の道徳心に欠けているだけだ。

 ふと、こいつは恋をしたことすらないのかもしれないな。と近藤は思った。

 (モテすぎるってのも、ある意味不幸だな…) 

 近藤は言葉にはせず、苦笑した。
 「仕事は順調だし、経営も安定してきてる。ちゃんとこれから先も社員の生活は守っていけると思うよ? そういう社会的責任は果たしてるんだからいいじゃん。――正直、恋愛はめんどくさい。束縛とか執着とか重いし、ウザい。そのとき気持ちよければそれで良いじゃねーか。セックスなんてそれ以上でも、以下でもないだろ」
 眠くなってきたのか、シートを倒して流れる景色を見ながら、欠伸混じりに云う。

 仕事に関しては、好きなことを好きなようにやっているだけに見えるけど、そう出来るような体制を整えたのは高嶋だ。彼は仕事とプライベートはきっちり分ける人間だから、仕事関係の人間と、身体の関係は持たない。
 人好きがして能力もあって、誠実な人間である高嶋の周りには、信頼できる優秀な人材が集まってくる。欲も無くて、自分だけが儲けようという気もさらさらないから、クライアントには信頼される。利益は社員に惜しげもなく分配する。
 そうなると好循環で仕事も途切れない。休日こそ忙しいようなイベント企画会社であっても、多くの人員を好待遇で確保して仕事を回すから、社員を休みなく働かせるようなことはしない。彼らの会社はベンチャー企業でありながら超絶ホワイトだった。だから、そこについては文句はないのだが。
 「着くまで寝ててもいいが、次はクライアントとの会食だ。着いたらしゃきっと起きろよ」
 「へーい」
 返事をしながら、もう瞼は落ちている。寝つきはいいが寝起きが悪い高嶋に、近藤はまた一つため息をついた。