月曜日。今日は図書当番の日だ。

 熊崎剛毅は、4時限の終業のチャイムとともに教室を飛び出した。剛毅の昼食はいつもパンで、毎日購買部へ買いに行く。早くいかないと、混み合って遅くなってしまうから、悠長には構えていられない。図書当番のときはお昼の開室時間までに食べ終わらないといけないから。

 剛毅は急いで購買に駆け込むと、玉子サンドとカレーパン、あんドーナッツという三大人気商品とコーヒー牛乳を素早く選び取る。おばちゃんにお金を払って振り向くともう長蛇の列だった。

 欲しかったパンを全部買えて、剛毅は機嫌よく一人図書館へ向かう。図書館内は原則飲食厳禁だが、そこは図書委員の特権、開室時間までひとときのランチタイムは黙認されている。

 剛毅の当番は月曜の昼と水曜の放課後だった。剛毅は、みんなが嫌がる図書委員を自分から進んで引きうけて、きちんと真面目にこなしている。歴史の古いこの高校の図書室は、図書館と呼んだ方がしっくりくる古い独立した木造の洋館で、古びた木の匂いと本の匂いが入り交じった静かな空間を、剛毅は気にいっていた。
 それに、そこなら特に親しくもないクラスメイトと、たいして意味のない会話で時間を埋める必要もない――。

 「熊崎」

 階段を降りようとした一歩手前で呼び止められた。
 振り向くとすぐ後ろに同じクラスの村野瞳が立っていた。可憐な名前に似合わないデカい図体。見た目は厳ついが、無口であまり目立たない存在。剛毅とは特に親しくもなく、同じクラスという以外接点はない。

 剛毅は急に振り向いたせいでバランスを崩し、階段から落ちかけたところを村野に引っ張られる。体はなんとか残ったが、手にしたパンとコーヒー牛乳は勢いよく階段を転がり落ちていった。

 「なに?」

 村野に腕を捕まれたまま、剛毅はこわばった顔で彼を見上げ、言った。無表情で、冷たい言い方に聞こえるが、別に不機嫌な訳でも、怒っているわけでもない。村野とは、ほとんど話したことがないから、つい身構えてしまうのだ。

 細いけれどバランスの良い体のライン、猫みたいなきつくて大きい目。その辺のアイドルなんかよりよっぽど繊細で整った顔立ち。けれど人見知りが激しい剛毅は、へたに容姿が整っているおかげで、冷たいとか気取っているとか、誤解されることも多い。

 そんな剛毅の反応を気にする様子もなく、村野は黙って落とし物を拾いに降りる。いいかげんな包装のサンドイッチは中身が出てしまっているし、カレーパンは踏まれて潰れていた。コーヒー牛乳とあんドーナッツはなんとか無事のようだ。

 「悪かったな、いきなり声かけて」

 剛毅の昼食の惨状に、責任を感じたらしい村野が謝る。

 「いや、俺が勝手に落としただけだから」

 つぶれた昼食の残骸を受け取ろうと手を差し出した剛毅に、村野は反対の手に持ってた弁当箱を差し出した。

 「え?」
 「トレード」

 キョトンとした顔の剛毅に弁当箱を押しつける。

 「買い直してる時間ないだろ? 行っていいぞ。今日は俺パンにするから、それ食えよ」
 「で、でも」

 思わず受け取った弁当箱の上に無事だったコーヒー牛乳をぽんと載せると、村野はそのまま購買に向かって歩き出す。呆然と後ろ姿を見送っていた剛毅に、村野が顔だけふり返って言った。

 「あとで図書館にいく」




 図書室のカウンターの上、目の前に拡げられているのは、美味しそうなおかずが彩りよく並んだお弁当。ただしかなりデカい。ご飯は詰め詰めぎっしり。

 なんでこうなってしまったのか、今ひとつよくわからない剛毅だったが、とりあえず現実として、目の前に旨そうな昼飯がある。
 おなかも空いたし、時間もない。とりあえず、食っちゃえ。

 「いただきます」

 丁重に手を合わせて拝む。剛毅の家はずっと共働きで、こういう、いかにも手作りの豪華弁当は、見るのも初めてだ。こんな機会はもう二度とないかもしれない。

 ガーリック風味のエビのマヨネーズ和え。ブロッコリと赤ピーマンのナッツ炒めは色も鮮やかで、ご飯にはちりめん山椒がかかっている。毎日こんな弁当を食べているなんて実にうらやましい。量的にちょっときつかったが剛毅は全部平らげた。食後にお茶ではなく、コーヒー牛乳なのはミスマッチだったけれど。
 ご馳走様でしたと手を合せて蓋をしたとき、コン、コン、と窓ガラスを叩く音がした。

 カウンターの右手、閉まった窓の向こうに、村野の姿。剛毅は慌てて走り寄って窓を開けた。開室五分前、まだドアには鍵が掛かったままだった。

 「もう食い終わったか?」

 剛毅より10センチ以上は身長の高い村野だが、この立ち位置では、剛毅が見下ろす格好になる。真っ黒で堅そうな髪だけど、地肌が白くて清潔そう。生え際の形もきれい。などと、へんなとこに気を取られてしまう。

 「え、――あ、うん! すごく美味かった」

 慌てて答えた剛毅に、村野はポケットからハンカチを出しながら、言った。

 「マヨネーズついてんぞ」
 「え、どこ」

 村野のデカい手が伸びてきて剛毅の口元を拭う。あまりのことに剛毅は固まった。小さい時から友達とのおふざけやじゃれ合いにも無縁だった剛毅は、こういうスキンシップに慣れてない。

 「こないだの子犬の件なんだけど、まだ飼い主は募集中か?」
 「子犬って――」
 「先週安藤が言ってたやつ」
 「う、うん、多分まだ全部の引き取り手は見つかってないと思う」

 やっと、なんとか剛毅の思考回路も作動してきた。

 「村野が飼うの?」
 「ん、というか弟達が欲しがっててな」
 「じゃあ、弟さん達連れて一度見に行ったら? まだ選べると思うし、相性もあるから会って決めた方がいいと思う。俺、先生の都合とか子犬の状況とか聞いとくよ」

 真剣に貰い手を探していた剛毅は、真面目に考えながら答えた。

 「そうさせて貰えると助かる」

 開館まで時間も余りないので、細かいことは電話で打ち合わせすることにして、ライン登録をした。

 「じゃ、あとで。あ、弁当箱ついでにもらってくよ」

 村野がもたれ掛かっていた窓枠から体を起こす。

 「洗ってから、」
 「いいよ、そのままで」

 剛毅は急いでカウンターに戻って弁当箱を包み直すと、窓辺で待つ村野に渡した。

 「美味かったよ。その、――ありがとう。俺いつもパンだから、こんな弁当食べたの初めてだ」

 受け取った村野が、弁当箱を振ってみて意外そうに云う。

 「全部食ったのか?」
 「うん」

 普通にうなずいた剛毅に、村野が云った。

 「作り甲斐があるな」
 「え?」

 そのとき、扉の方で話し声が聞こえてきた。もうそろそろ開室時間だ。

 「じゃあな」

 剛毅が扉の方を振り返っている間に、村野はさっさと離れていく。

 (ちゃんと話したのは、今日が初めてなんだよね…)

 無口でぶっきらぼうな村瀬だけど、一緒にいても、話していても、気詰まりじゃなかった。剛毅はなんだか不思議な気分で扉を開け、「開室中」のプレートを下げた。




 「ただいま~」

 玄関のドアを開けると同時に茶色いもこもこの固まりが飛びついてくる。抱き上げると千切れんばかりにしっぽを振って顔中なめ回す。

 「ふふ、わかったよ、マロン」

 ハニーブラウンの巻き毛。ナチュラルなふわふわの毛並が動くぬいぐるみのようなマロンは、トイ・プードルの血統書付きお嬢様だ。剛毅が六歳のときペットショップでフォールインラブして以来、十年越しのお付き合い。いまだにラブラブだ。

 「おかえりなさい、剛毅くん。お食事の用意出来てますから、お味噌汁だけ温めて下さいね。おやつも居間のテーブルに出してありますから」

 遅れて、通いのハウスキーパーをしてくれている佐山さんが出迎えてくれた。佐山さんは平日の昼間だけ、掃除、洗濯と夕食の支度をしに来てくれている。

 「うん、ありがとう」
 「じゃあ、今日はこれで失礼させて頂きますね」
 「お疲れさま」

 剛毅の家は代々続く小さな歯科医院で、数年前祖父が亡くなってからは父と、歯科助手の女性数名だけで運営している。小さいながらも評判がよく、昔から代々通ってきてくれる患者さんも多くて毎日忙しい。急患は土日や深夜でも受け付ているし、昼夜問わず、患者さんがやってくる。

 そのせいか、同じ家に住んでいながら家族一緒に食事することすら珍しかった。母親はフリーのインテリアコーディネーターで、毎日忙しく飛び回っている。二、三日の出張などざらなので、父親よりも顔を合わす機会が少ない。2歳ちがいの姉が一人いるが、今年の春から、歯科医科大学の学生になり、この家を出て一人暮らしをしていた。

 「散歩に行こっか。マロン」

 部屋で制服を着替えながら言った。朝と夕方の散歩は毎日欠かさず剛毅が連れてゆく。散歩に限らずマロンの世話はすべて剛毅の役目だった。ようやく自分で自分のことを出来るくらいの小学一年生の頃から、本を読んだり獣医さんに相談しながら、姉にも協力してもらいながら、世話をしてきた。

 「そうだ、帰りに滝本先生のとこに寄って、子犬の貰い手がひとり見つかりそうだって報告しなくちゃね」

 実のところ、剛毅はクラスメイトの名前なんてほとんど覚えていない。けれど、村野の名前は知っていた。彼はよく図書館を利用する数少ない常連の一人だ。勉強室代わりに利用する生徒が多い中、毎週のように本を借りている。容姿と名前のギャップもあって、なんとなく見覚えた貸し出しカードの名前。剛毅の当番のときに借りに来たこともあるから、今までも事務的な会話だけなら交わしたことがあった。

 生き物を託すのだから、ちゃんと責任持って最後まで可愛がってくれる人じゃないと困る。飼い主は慎重に選ばなきゃと思う。
 でも、初めて今日少し話しただけだけど、性格までは知らないけど、なんとなく、彼なら信用してもいいかもと剛毅は思っていた――。



 話は先週の昼休みに遡る。めずらしく剛毅は、自分から隣の席の安藤に声を掛けた。

 「なー、安藤って犬好き?」
 「なあに? 急に。好きだよ」

 肩まで伸びた、さらさらのきれいな茶髪を揺らして振り向く。いまどきの女子高生ファッションだけど、化粧気はない。はっきりした目鼻立ちですっぴんでも目立つ美人タイプ。ちょっとキツめの性格だが、さばさばしているので男女とも友達は多い。
 席が隣なので日直なども一緒にやるし、話す機会も他のクラスメイトに比べて多かった。安藤のほうも、剛毅の愛想の無さを気にするでもなく、気軽に話し掛けてくる。

 「うちの近所の動物病院で、子犬の貰い手探してるんだ。昨日見てきたんだけど、すっげーかわいいの。雑種だけど長毛種入ってるから毛並みもきれいだし」
 「へー。飼いたいんけどうちマンションなんだよねぇ」

 残念そうにいうと、ちょっと考えて、大声で言った。

 「誰か、犬飼いたい人ー!」

 教室にいた全員が振り返る。

 「ちょっと、安藤ー。叫ぶなよ」

 注目を浴びて、居心地が悪い。

 「なんでー。みんなに聞いた方が早いじゃん」

 しれっと、答える。

 「なになに? 何の話」

 興味を持ったらしい何人かが集まってくる。安藤はさっき剛毅が言ったことをそのまま伝えている。

 「熊崎が飼やいいじゃん」

 誰かが言う。

 「うちにはもう犬いるから。それに子犬は4匹いるんだ。黒と、茶色と、茶色と白のツートンが二匹で、えーっと茶色が雄であと雌だったと思う。…だれか欲しい人いないかな?」

 昨日、散歩の途中で寄った滝本先生のところで頼まれたのだ。いつもお世話になっているし、人のいい先生の性格を知ってか、病院前には捨て犬捨て猫が多くて、いつも貰い手探しで大変そうだったから、今回は剛毅も真剣に探してみるつもりだった。

 珍しく、クラスメイトの輪の中で話す剛毅に、みんなが集まってくる。
 うちももう飼ってるとか、団地だとか、知り合いに聞いて見ようか? などと、みんな口々に言っていて収集がつかない。なんとなくクラスでも浮いている存在の剛毅だが、嫌われているのとは少し違っていた。

 あんまり綺麗な顔というのは、笑顔じゃないと冷たい印象を与えがちで、剛毅は愛想の良いタイプではないから、余計に近寄り難いイメージがある。だから、内心お近づきになりたい生徒はたくさんいたが、友達といえるほど仲の良い人間はほとんどいない。こうして、剛毅から働きかければ人は集まってくるのに、本人にはそういう自覚がまるでなかった。

 「じゃあ、今すぐじゃなくても、もし飼いたい人がいたら教えて。実際見てから決めてもいいと思うし。ワクチンとかトイレの躾とかも、いろいろしてくれるみたいだよ」

 まとめようと剛毅が言って、この件はこれで終わりという雰囲気になったとき、安藤がふと言った。

 「熊崎って犬飼ってんだね。何飼ってるの?」
 「いーだろ、なんでも」

 剛毅はぶっきらぼうに答えた。

 「えー、教えてよ」

 新しいクラスになってもう二ヶ月近く、珍しく剛毅から話しを振ってきたのだ、集まった奴らはなかなか離れていかない。少し離れたところにいる者も、耳は傾けている。

 「プードル」

 仕方なくぼそっと言うと、えー、かわいー、意外ー、という声が挙がる。小学校のとき近所のガキどもに、プードル飼ってるなんて女みてえ! とよくいじめられたのだ。それ以来、犬の話は人にはあんまりしたことがなかった。だから嫌だったんだよと剛毅が内心ふてくされていると、

 「えー、いいなー。私も引っ越す前は飼ってたの、小学生の頃。かわいいよね、賢いし」

 安藤が言った。

 「だろ? うちのマロンも頭いいよ。新聞とかも持ってきてくれるんだ」
 「へー、凄いじゃん。うちの子はポピーって名前だったんだー。もうだいぶ前に死んじゃったけど」

 なぜか二人して犬の話題で盛り上がった。所詮は剛毅も親バカなのでマロンが誉められると、機嫌が良い。安藤は写真もあるよと、スマホを取り出す。友達とのスナップに混ざって、頭にピンクのリボンを結んだ白っぽいプードルの写真があった。

 「ほんとだ。かわいい。きれいにカットしてるね。うちのマロンは茶色の毛だし、ふわふわだから。まんま縫いぐるみみたいだよ」
 「えー。見てみたいー! 写真とかないの?」
 「…あるけど」

 男のくせに犬の写真持ち歩いてるのを知られるのは、さすがに恥ずかしかったが、自慢のマロンを見せたい欲求に負けてしまった。
 生徒手帳の裏表紙の間から、抜き出して安藤に渡す。

 「うっわー、可愛い! っていうか、熊崎が可愛いー。これ中坊んときの?」

 安藤のその言葉に、周りの連中がわらわらと写真をのぞき込みにやってくる。

 「俺はどうでもいいだろ!」

 思わず写真を取り返すと、あー。と残念そうな声があがった。そのとおり、中学のときに撮った写真だった。マロンは写真を撮ろうとすると嬉しがって近寄りすぎるので、うまく撮れない。なので剛毅がマロンを抱え込んで、姉の実乃里に撮ってもらったものだ。

 剛毅は子供の頃から写真嫌いで、学校行事などでやむなく写るときは決まって仏頂面だった。それがマロンとのツーショットでは、全開の笑顔だ。アップでマロンだけを撮ってくれているものと思っていたので気がゆるんでいたし、大好きなマロンと遊んでいるのだ。自然に笑顔もこぼれようというもの。
 というわけで、奇跡の一枚だった。

 そうこうしているうちに予鈴が鳴り、みんな自分の席に戻り始める。剛毅はほっとしながら写真を元のところに挟んだ。
 この頃が、一番幸せだったかもしれない。姉さんは優しくて、いつも楽しそうだった。この写真も、悪戦苦闘する剛毅を見て大笑いしたあと、撮ってくれたのだ。姉さんも一緒に三人で撮ればよかったと、剛毅は寂しい思いで思い返す。

 このあと、あんなことさえなかったら――。
 実乃里とは、あれ以来ろくに話しも出来ないまま、この春彼女は大学進学を理由に家を出てしまった。それ以来まだ一度も帰って来ていない。
 自分が全部世話をするという約束で、無理を言って買ってもらったマロンだけど、共働き家庭の二人姉弟だからいろいろ助けて貰った。実乃里だってとてもマロンを可愛がっていたのだ。剛毅はため息をついて、生徒手帳を胸ポケットにしまった。




 水曜日の放課後、剛毅は図書館に向かって走っていた。
 図書委員は昼休みと放課後5時まで交代で、カウンター業務と図書の整理を行う。昼休みは一人勤務だが、放課後は二人一組だった。日直と重なったせいで、時間に遅れてしまっていた。

 白いペンキがひび割れて、ところどころ浮いていたり、かなりのボロではあるが造りはしっかりした木造の重厚な扉を開けて中に入ると、カウンターの中から隣のクラスの図書委員、迫田辰巳が身を乗り出して大声を出す。

 「おっせーよ。熊崎!」

 人影まばらとはいえ、図書館中の視線が集まる。
 足早にカウンターの中に入ると、剛毅は迫田の頭をはたいて後ろの壁の貼り紙を指さした。

 (図書館内では静粛に)

 「ってぇ。殴らなくてもいいじゃんよー。手ぇ早いんだからー」

 一応小声で文句を言いながら、カウンターに積まれた本の返却手続きをしている。

 「来てやっただけでもありがたく思えよな。おまえ先週サボりやがったくせに」

 剛毅は小声で、言い返す。
 迫田は去年剛毅と同じクラスだった。彼は人懐っこくて誰彼となく仲良くなるタイプで、なおかつ、かなり打たれ強いらしい。協調性はない、愛想もない剛毅にも、めげずにへらへら話しかけてきた。その彼の努力の成果か、今では剛毅が気安く話せる数少ない人間の一人になっていた。
 考えてみれば、剛毅は一年のときまともにしゃべっていたのは迫田くらいだったのだ。

 それに比べれば、今のクラスになってからのほうが、まだクラスに馴染んでいるといえる。
 迫田とはクラスが分かれて、自然と関わり合いがなくなってしまうだろうと思っていたが、今年も剛毅が図書委員をすると聞いて、そいじゃ、俺も。と迫田も委員になった。そのくせ、最近はさぼりがちだった。

 「えへへー。だって、先週は美也ちゃんの部活がお休みだったんだもーん」

 最近やっと出来た念願の彼女、美也ちゃんはまじめなテニス部員で、帰宅部の迫田は美也ちゃんの部活が終わるまで、毎日忠犬ハチ公よろしく、ずーっと待っている。いじらしいといえばいじらしい。

 「あ、そ」

 気のない返事をしながら、返却図書を整理していると、

 「あれ?」

 積まれた本の一番下に、
『趣味の園芸百科』があった。これは先週の昼休み、村野が借りていった本だ。

 「あー、それ。だれが借りてたと思う?」

 横から剛毅の手元をのぞき込んで迫田がにやにやしながら言った。

 「おまえのクラスの村野だぜー。むちゃくちゃ意外。ガーデニングが趣味ってがらじゃないよな」

 おかしそうに言う。
 迫田に教えられるまでもない。貸し出ししたのは剛毅だ。だいたい村野が借りていく本は脈絡がない。『お弁当のおかず100選』だとか『DNAと遺伝情報』だとか『マックスウェーバー入門』『世界の犬カタログ』etc.。というか、よく学校に置いてあるよなこんな本。というのを借りている。村野の貸し出しカードはかなり印象深い。といっても、剛毅がちゃんと村野の存在を認識したのは、この間の弁当の一件があって以来だったが。

 「そうか? べつに、おかしかないだろ、ガーデニング」

 なんとなくムッとしながら、剛毅が答える。

 「ああ? 変だと思わないの? おまえ」
 「別に変な趣味だとは思わないけど」
 「いやいや、ガーデンニングが変なわけじゃなくてだな、あいつの趣味にしちゃ意外だっての」

 迫田はめげずに言い返す。普通の奴とは少しずれた感覚を持っているふしのある剛毅なので、予想外のリアクションも珍しくない。

 「あのデカい図体に、無表情な三白眼。高校生とは思えない妙な迫力あるしさ。あいつが庭で、じょうろ持って植物に水あげてる姿が想像できるか?」
 「似合うと思うけど」

 普通に返す剛毅に、迫田は思わず脱力する。

 「それに、三白眼じゃないよ。男前じゃん、村野って」
 「は~???」
 「背も高くて手足とかがっしりしてるし、顔とかも男っぽくてさ、大人っぽいし。俺、どうせならあんな風に生まれたかったよ」

 真顔で言った剛毅に、迫田は開いた口が塞がらない。

 「…凄い美的感覚してるな、熊崎。俺はおまえがあんな風に生まれなくて心底良かったと思うぞ。せっかくそんな綺麗な顔に産んでもらったのに」

 別に村野だって、不細工というわけではない。弱小とはいえサッカー部でキーパーをつとめていて、長身でバランスのとれたイイ体だし、顔だってまあ、普通。けれど、一般的に見てとりたててハンサムとは言い難い。

 それが、男の子とはいえこの美形、ありがたい目の保養の剛毅くんが、あんなのが男前だなんて、あんな風に生まれたかっただなんて、恐ろしいことだと迫田は思う。ちょっとずれた奴だとは思っていたが、美意識までずれていたとは――。

 「俺が、どんな容姿だろうと、おまえに関係あるわけ?」

 急に、不機嫌な声で剛毅が言う。淡々と静かなトーンがよけいに冷たく響く。

 「いや、ないです!ごめんなさい、村野は男前です!」

 迫田は慌てて、大げさに謝りつつ、論点をずらした。剛毅は自分の容姿のことを言われるのをもの凄く嫌っている。剛毅と違って人付き合いの上手い迫田は、彼のそういう部分にもすぐに気付いて、それに触れないように上手く気を遣っていた。だが、驚きのあまり、つい本音が出てしまった。

 「確かに俺もさー、もうちょっと身長ほしいもんな。このハンサムな俺が村野くらい背が高ければ、もうモテモテで大変だぜ。あ、もちろん俺は美也ちゃん一筋だけどな」

 いつもの軽い調子で、迫田は雰囲気を和らげる。
 剛毅は、思わずムキになってしまった自分に、なんだかバツが悪くなる。迫田に悪気はないのはわかっているのに、嫌な言い方をしてしまったと、自己嫌悪に陥った。

「なぁ、迫田…。今日はもう帰っていいか?」 
「怒ったの? 剛ちゃん」

  びびった顔で迫田が聞き返す。

 「なんで? おまえ先週サボっただろ、俺も今週サボらせろ。そしたらチャラだろ」

 迫田のように、さりげないフォローは出来そうになかったが、なんとか不自然にならないように言った。

 「うん、そーして、そーして! これからは生まれ変わったように、まじめに働くぜ、俺!」

 迫田は内心ほっとしながら、笑ってガッツポーズをしてみせた。





 日曜の午後、剛毅は村野たちと待ち合わせて滝本動物病院に行くことになった。
 待ち合わせは熊崎歯科医院前。剛毅はマロンも連れて家を出て、背中合わせに立っている医院の入り口に廻る。梅雨入り目前の、初夏の日差しが眩しい季節、剛毅はTシャツにハーフパンツ、薄手のパーカーを羽織って、足元はコンバースというラフな格好に、キャップを深めにかぶっていた。

 わかりやすいように、正面玄関の横、植え込みの縁に腰掛けて待つ。今日は休診日だから、急患以外の患者さんは来ない。敷地内なので、マロンのリードを外してやった。

 「遊んでおいで。門からは出ちゃだめだよ」

 マロンは嬉しそうに、それでも剛毅の半径二、三メートル以内をちょこちょこ動き廻って遊んでいる。しばらくするとマロンは、遊んでいた植え込みの中からひょいと顔を出し、門から現れた人影に向かって、一声吠えた。

 「よう。悪いな、休みに」

 村野が悠々と歩いてくる。
 白い半袖シャツに、ストレートのジーンズ、スニーカー。がっしりした肩幅、長くてでかい手足。ジーンズとか裾上げなしでいけそうだなー。羨ましいと思わず見とれてしまう。華奢な剛毅にとって、こういうごつごつした体格はやっぱり憧れなのだ。

 意外なことに、村野は右腕にまだ小さな女の子を抱いて、左手で男の子の手を引いている。親子みたいというには若すぎるが、なんかすごく似合っているというか馴染んでいるというか――。

 「その子達? 村野の兄弟って」

 勝手に中学生くらいのもっと大きい子を想像していた剛毅は、ちょっとびっくりして言った。

 「ああ。ほら、ちゃんと挨拶しろ。兄ちゃんの友達の剛毅くんだ」

 抱いていた女の子を降ろしながら言う。

 「こんにちは!」

 もうすでに日に灼けて、腕白そうな、村野と似た顔の男の子が物怖じしない態度でぺこんと頭を下げる。

 「こんにちは」

 女の子の方は、村野の足に絡まって、もじもじ小さな声で挨拶する。こっちはあんまり似てないけど、かわいい。男の子の方がお兄ちゃんで、健太くん、妹の方が梨奈ちゃんで二人とも小学一年生。年子の兄妹ということだった。 動物病院に向って歩き出しながら話す。

 「歳離れてるんだね。一年生ってことは、十歳違いか」
 「母親が違うからな。こいつらは今のお袋が産んだの」

 もしかして微妙な話題に触れてしまったかと固まる剛毅に村野は普通に続ける。

 「別に、そんな複雑な事情じゃないから安心しろ。俺を産んだ母親は早くに亡くなって、後添いに入ってくれたのがこいつらを産んだ母親。父親は同じ。しごく平穏な一般家庭だ」

 「そ、そうなんだ。うちは2歳違いの姉が一人いるんだ。今年から大学生で、今は一人暮らししてるけど」

 なにかしゃべらないといけないような気がして、とってつけたように言う。話題を変えようと、剛毅は自分と村野の間を歩いてる健太に聞いた。

 「お父さん、お母さんは飼ってもいいって?」

 マロンのリードを持たせてやったら、喜んで走り出しながら応える。

 「兄ちゃんがいいって言ったらいいんだ!」
 「こら! 飛び出すなよ!」

 叫ぶ村野に、剛毅が聞く。

 「そうなの?」
 「うち八百屋なんだ」
 「うん?」
 「だもんで両親二人とも朝から晩まで忙しくて、こいつらの世話は俺の担当。一応二人でちゃんと世話をする約束で許可したんだけど、責任は俺に掛かってくるから親もその辺、適当に頼むわ、って感じでほったからかしなんだ」
 「ふーん。信頼されてるんだ」

 なるほど、それならこの板についた子供の扱いにも、納得がいく。
 走り出した健太とマロンにつられて、大人しく手を繋いでいた梨奈がマロンを追っかけて駈けだした。ほんとに犬が好きみたいだ。楽しそうな様子に、思わず剛毅も笑顔になる。

 「二人とも小学生になって俺もだいぶ楽になったし、もうそろそろ自分達で犬の世話とか出来る年頃だろ」
 「そうだね。マロンがうちに来たのも俺が小一の時だよ」

 そうこうしているうちに、滝本動物病院についた。
 受付の美里さんに挨拶して、奥の部屋にある子犬のサークルまで案内してもらう。
 見るなり、子供たちはすっかり小犬たちに夢中になった。まだ足下はおぼつかないが、この間見たときよりは大きくなって目も開いている子犬たち。足が太いからけっこう大きくなりそうだ。

 「この茶色い仔はもう、行くおうちが決まってるの。この仔以外はみんな女の子よ。みんな元気でしょー?」

 美里さんが子供達に説明して、抱かせてあげたりしている。そうこうするうちに、新しい患者さんが来たようで、美里さんはゆっくり見ていってねと受付に戻っていった。

 「村野は見なくていいのか?」

 村野はちょっと下がって、剛毅の隣でマロンを抱いてる。マロンは家族以外にはあまり懐かなくて、特に剛毅がそばにいるときは、他の人に自分から進んで抱かれたりしない。それが今は、村野の大きな手にすっぽり抱かれて居心地良さそうに納まっている。剛毅はちょっと複雑な気分だった。

 「あいつらの犬だからな。自分たちで決めるだろ」

 その言葉どおり、そのあとこの子がいい、いやあの子がいい。とけんかを始めた二人だが、村野は知らん顔で放ったらかし。子供ながら、お互い譲らない緊迫したムードにはらはらしながらも、村野が口を出さないので、剛毅も黙って見ているしかない。
 結局泣き出した梨奈に健太が折れて、なんとか決着がついた。小さくてもお兄ちゃんだなーと、剛毅はちょっと感心しながら眺めていた。

 「ま、今日は一応人前だからけっこう簡単に決着ついたな」

 ぼそっと村野が怖いことを言う。

 「え、いつももっと激しいの?」
 「たいてい掴みあいになる」
 「こえー」
 「慣れるぞ、毎日だから。変に大人が口出すと腹の中にたまるんだ。言いたいこと全部言い合った方が後腐れがない」

 見ていると確かに、梨奈はもう泣きやんで嬉しそうに子犬を抱いてるし、健太もその子犬の頭撫でていて、わだかまりもなさそうだった。子供って単純でパワフル。

 「尊敬するよ、村野。いつでも父親になれそうだな」
 「それは当分勘弁してほしい」

 かなり嫌そうな顔で村野が言った。

 「保育士さんとか向いてそう」

 村野に向かって、剛毅以外はとても言いそうにないことを言う。

 「俺は子どもは嫌いじゃないが、子どもは俺を怖がるぞ」 
 「え? なついてんじゃん」
 「奴らは、生まれた時からだから慣れてるだけだ。保育園の頃からこいつらの連れにはびびられまくってる」

 そう言われてやっと、確かにそうかも、と剛毅は思う。村野のしゃべり方はぶっきらぼうで、愛想笑いとか出来なさそうだし、見た目は厳ついし。柔らかい口調で子どもの目線まで降りて話しましょう。ってタイプではない。村野は相手が子供だってことはちゃんとわかった上で、大人と同じような態度で接するタイプだ。

 「じゃ、小学校の先生。それなら、ちょっとびびられてるくらいの方が舐められなくていいだろ」

 剛毅の言葉に、村野はちょっと眉を上げると、剛毅の髪の毛をくしゃっと掴んだ。

 「おまえ、どうしても俺に一生子守りさせたいみたいだな」
 「べ、別にそういうわけじゃ」

 剛毅は顔を赤くしてしどろもどろになる。村野は小さい子と暮しているせいか、スキンシップが身に付いている。だから、ふとした拍子に出るのだろう、慣れていない剛毅はあたふたしてしまう。この間の昼休み、図書館でもそうだった。

 子犬は、もう少し大きくなるまで先生が育ててくれるということなので、その日はお礼だけ言って帰った。



 次の日の昼休み。購買部へ向かう剛毅を、村野が追ってきた。

 「これ、昨日の礼だ」

 廊下で、弁当箱の入った袋を渡される。

 「え、いいよ。村野の分なくなるじゃん」

 剛毅は慌てて返そうとする。村野の弁当にはかなり食指が動くが、昼飯の横取りはいただけない。

 「俺の分も入ってる」

 見ると、弁当箱は二つ入っていた。

 「二つ作って貰ったの?」
 「作ったのは俺だ」
 「え?」
 「先行って図書館の前で待ってろ。茶貰ってくから」

 きょとんと見上げている剛毅を置いて、村野は教室に引き返す。昼食時には各クラスにやかんでお茶が支給される。弁当組は各自マイカップを持って来ているのだ。

 (これって、昼飯一緒に食おうってことか?)

 剛毅は今ひとつ状況がのみ込めないまま、取りあえず言われたとおり図書館に向かう。歩きながら、ふと思い当たる。そう言えば村野は前に、作り甲斐があるとか言ってたよな。ということは、村野は毎日自分で弁当を作っているのだろうか。

 村野の家の事情を考えれば、おかしくはない。が、普通の男子高校生はなかなか毎日弁当は作らない。それもあんなに手の込んだ旨い弁当を。すごい奴かも。
 扉の前で待つ剛毅のもとに、村野がお茶の入ったプラスチックのコップを二つ持って歩いてきた。剛毅の分のコップまで持って来てくれたらしい。どうしてこんなに気が利くんだろう。

 「ありがとう。なんか悪いな、気遣わせて」
 「いや。こっちだ」

 そのまま村野について、中には入らず裏手に廻る。図書館の裏には何本か常緑樹が植わっていて、あとはほとんど雑草だが、緑が多くて気持ちがよかった。窓下のペンキの剥げかけた壁にもたれて座ると、ちょうど木陰になっている。

 「へー、知らなかった。裏ってこんなになってたんだ」
 「俺は昼は、大体ここで弁当食って寝てる」

 裏側の窓はカウンターからは見えない位置にあるし、窓が見えたとしてもこうして座り込んでしまえば完全に死角になる。こんなに近くにいたなんて全然知らなかった。
 剛毅はさっそく弁当を広げてみた。

 「いただきます」

 やっぱり拝みたくなるような豪華版。チーズとケチャップがいい感じに絡み合っているチキンピカタ。キャベツとグリーンアスパラのミモザサラダにラディッシュの甘酢漬け。そして鮭わかめご飯。もちろん味は保証付き。さすがにご飯の量は剛毅の方は普通。村野のほうはやっぱりぎゅうぎゅう詰まっている。

 「なあ、これって村野が作ったんだよな」
 「ああ」
 「前くれたのもだろ?」
 「ああ」
 「毎日こういうの作ってんの?」
 「そう」

 もくもくと食べながらの短い返事。

 「料理好きなんだ」
 「それもあるが、去年まであいつらの保育園の弁当があったし、三つ入れてたんだ、弁当。だから作るのは苦にならないし。まあ、今は二人とも給食だから、一つだけ作るのも面倒と言えば面倒だけどな。パンでは腹が膨れないから」
 「ふーん、すごいなー。うちも共働きだから、昼飯なんて適当に食っとけって感じで毎日パンだよ。通いで家事やりに来てくれる人がいるから、夕飯はちゃんとしたものが食べられるけど、村野の弁当の方が旨いよ。マジで。家でも作ってんの?」
 「土日や、部活のない日は、ときどきな」
 「いいなー、健太くん達が羨ましい」

 お世辞ではなく、かなり本音だった。佐山さんはいい人だし、栄養士の資格も持っているらしいから健康に気を遣ってバランスのいい食事を作ってくれる。でも、悪いけど美味しいのは断然こっちだ、と剛毅は思ってしまう。

 村野のイメージからはかなりかけ離れた特技だが、剛毅はそれに違和感は感じない。子供の面倒をよくみるのも、料理が得意なのも、カッコいいと思った。自分には絶対出来そうもないことを自然に出来ている村野は、すごいと素直に思う。

 「食うなら、毎日入れてくるぞ。おまえの分も」

 なんでもないことのようにさらっと村野が言った。

 「え! ほんと?」
 「別に一つ作るのも二つ作るのも一緒だしな」
 「ほ、ほんとにいいの?」

 厚かましいと思いつつ、村野の弁当の誘惑には勝てない。

 「ああ、あくまで俺のついでだから、一日も欠かさずってのは無理かもしれないけど」
 「それはもちろん! 俺、昼食代に1日500円貰ってるから、それ渡す。少ないけど」

 それを聞いて、ふと村野の手が止まる。ちょっと嫌そうな顔をして言った。

 「別に商売のつもりじゃないから。いらねえよ」
 「で、でも」

 怒らせてしまっただろうかと剛毅は焦ったが、でもタダで毎日弁当を入れて貰うなんて、やっぱり悪い。

 「じゃあさ、」

 ちょっと考えて、ふと思いついたように村野が言った。

 「映画オゴってくれるっていうのは、どうだ?」
 「映画?」
 「そう。俺映画好きなんだけど、高ぇじゃん。昼飯代浮いてくるんなら二人で見てもいけるくらいだろ? 月に1、2回なら」

 確かに一か月の昼飯代で充分足りる。それで、毎日こんな弁当食べられるなら安いものだ。休日に、誰かと出掛けるなんてほとんどなかった剛毅だったが、村野と出掛けることには不思議と抵抗はなかった。

 「うん、それいいかも。ほんとにそんなんでいいの?」
 「ああ。早く食え、時間あんまりないんだろ」

 そうだ、図書当番。と剛毅は時計を見て慌てつつも、しっかり味わいながら弁当を平らげることに集中した。




 昼休みの校庭、クラスの男子達がキックベースボール中。
 剛毅はため息をついて教室の窓からその光景を見下ろしている。高校生にもなって無邪気なことだが、今2Cの男子の間では、キックベースボールがブームなのだ。今日は村野も参加していた。

 剛毅と村野はあれから毎日弁当一緒に食って、昼寝したり、キックにまざったり、先週は一緒に映画も見に行った。なんか最近普通の高校生しているような気がする。こころなしか、クラスにも馴染んできたような気もするし。

 剛毅は村野といると、不思議な居心地の良さを感じていた。
 村野は無口で、いっしょにいても必要なこと以外そんなにしゃべらないけれど、なぜか沈黙も重くない。他人と一緒にいると落ち着かなくて疲れるし、話すことなんてそうそう思いつかなくて、はっきり言って苦痛なことのほうが多い剛毅だったが、それが村野だと何故かリラックスできて、剛毅のほうがよくしゃべっているくらいだ。
 そう、なんだかマロンといっしょにいるときみたいな感じだった。

 「熊崎ー。よそ見してないで、さくさくやって」

 向かい合わせに机をくっつけている安藤が、手を動かしながら冷たく言う。
 日直は隣の席同士で回ってくる。今日は安藤と剛毅の番だったが、運悪く午後の漢文の授業で使うプリントの用意をさせられることになってしまった。といっても安藤がてきぱきしているので、剛毅はいわれるがままに動いているだけだから割と楽なのだが。

 結局、今日の昼休みは村野とキックベースボールにも参加できず、こうして教室でおとなしく、安藤が揃えたプリントをホチキスで留めるという流れ作業をこなしすはめになった。

 「まったくー、田中の古典の日に日直当たるなんて最低ー。プリントの用意くらい自分で職員室のプリンター使った方が早いじゃん」

 安藤はぶつぶついいながらも、ちゃんと手を動かしている。うかうかしているとどんどん溜まってくるので、剛毅はホチキス止めに集中する。

 「大体、熊崎がいっつも古典寝てるから目を付けられてんじゃない? これって田中の報復よ。絶対」
 「なんでだよ。別に田中の授業選んで寝てるわけじゃないぞ。五時限が眠いのは人間の本能だろ」
 「本能を理性でコントロールしてこその人類じゃないの?」

 八つ当たりだと思ったが、安藤の鋭いつっこみに何も返せない剛毅。こう見えても安藤は頭がいい。成績も負けている、議論はよそう。

 「今日は、村野くんとお昼食べられなくて残念だったねぇ」

 剛毅に八つ当たりして気が済んだのか、今度はからかうような笑いを浮かべて、安藤が妙なことを言い出した。

 「安藤が食いに出ようとした俺を、引き留めたんだろ!」

 そう、今日は自分の席で急いで昼飯をかき込んで、こうして作業しているのだ。
 教室で昼飯を食べなきゃいけないという決まりはないし、部室とか特別教室とかでたむろして昼食をとっている生徒も多い。教室の自分の席で食べている奴の方が少ないくらいだった。だから、剛毅は村野と外に出ていることなんて誰も気にとめていないと思っていた。

 「最近、熊崎、村野と仲いいんだ?」 
 「なんだよ、いけないのかよ」

 思わずむっとした顔で、剛毅が返す。

 「そんなこといってないじゃんー。何怒ってんの?」
 「安藤こそ、なんで急にそんなこと訊くんだよ」

 逆に剛毅に突っ込まれて、安藤が意味深に微笑んだ。

 「うーん、最近なんか村野っていい感じだなーって思って」
 「は?」
 「けっこうタイプなんだよね。村野って」

 思わず、剛毅のホチキスを持つ手が止まる。タイプって、タイプって、安藤が村野を好きってことか?

 「安藤って、彼氏いなかったっけ?」

 呆然となりながらも、剛毅はふと思い出して答える。

 「いつの話しー? もう二週間も前に別れたよ。大体向こうが付き合ってくれってしつこかったから、まあいっかと思って付き合ってただけだし。でも、やっぱりこう、私って追われるより、追っかけるタイプみたい。自分から気に入った相手じゃないと長続きしないんだよね」

 女って怖い。友達もろくに作れないような剛毅にとって、恋愛なんて映画とかドラマの世界だった。恋愛って現実はそういうものなのか? 剛毅は、美也ちゃん、美也ちゃんと浮かれている迫田がなんだか可愛く思えてきた。

 「今度は村野を追っかけてみようって?」
 「うん。なんか村野って大人だし。普通同い年の男の子ってなんかガキっぽいじゃない? 村野って無口で男っぽくていい感じだなーと思ってさ。それに見た目は厳ついけど、けっこう優しいとこあるでしょ?」

 同い年の剛毅に向かって無神経な言い方だが、言っている安藤はどうやら剛毅を男扱いしてないらしく、剛毅もそれについて全然違和感を覚えていない。

 「――そうだね」

 ついていけないところは多々あるけど、安藤って案外見る目があるかもと剛毅はちょっと見直した。

 「でしょ? だから熊崎も協力してよね」
 「へ? だから、ってなんだ、だからって!」
 「友達でしょ?」
 「いつから?」

 剛毅はめちゃくちゃ冷たく言い放つ。普通の人間なら凍り付きそうなブリザードの中、安藤は強い。

 「私がみんなに子犬の飼い主募集してあげたから、村野とも仲良くなったんでしょー? ちゃんと飼い主も見つかったんだし、それくらい協力したって罰は当たんないよ」

 なぜ、安藤がそれを知っている。口には出さなかったがそういう顔をした剛毅に、

 「隣の席なんだもん。会話は筒抜けさ」

 安藤は澄ました顔で答える。

 「聞き耳たてんな」
 「なによー、聞かれて困る話なわけ?」

 確かに聞かれて困る話ではない。だが、別に悪いことをしているわけではないけれど、村野との会話を人に聞かれるのはなんとなく嫌だった。

 「大体、そういうのって、人に協力してもらわなくても自分でなんとかするもんだろ。自分から追っかけるのが好きだって、さっき言ったじゃないか」

 負けずに剛毅も言い返す。

 「う、そうだけど。村野ってとっつきにくいし、接点ないんだもん」 
 「じゃ、諦めれば?」
 「やな感じー。なんでそんなに非協力的なわけ? あ、わかったー。熊崎も村野のこと好きなんでしょ。アブなーい」

 その言葉に、剛毅の表情がこわばる。

 「勝手に言ってろ」

 冷たく言い捨ててプリントを安藤の机に押しやると、さっさと机を離して元の位置に戻す。

 「ちょっとー! まだ残ってるでしょ!」

 安藤が怒っているが無視する。あと残っているのは、一人でも時間内に出来る量だ。剛毅はそのまま教室を出ていった――。



 放課後の図書室、剛毅は一人でぼーっと外を眺めていた。昼間の安藤の言葉がまだ尾を引いている。安藤が村野を好きなことが、なんでショックなんだろう。自分の気持ちがよくわからない。剛毅は無意識に大きな溜め息を吐いた。
 そこに、今週も遅れて、のっそりと迫田がやってくる。

 「遅かったな。もう美也ちゃんと帰っちゃったかと思ったぞ」

 珍しく無言で隣に座った迫田に、剛毅が話しかける。

 「うっ。俺はもうだめだ。だめなんだ~」

 迫田が急に机に突っ伏して呻いた。一瞬いつもの冗談かと思ったが、どうも様子が違う。

 「さ、迫田?」

 びっくりして声を掛けた剛毅に、迫田はガバっと体を起こして縋り付こうとする。

 「剛ちゃん! 俺もう女なんて信用できね、ってぇ!」

 思わず肘を盾にした剛毅のエルボーの型に、迫田の顎がヒットした。 

 「ひっでー! そうか、熊崎も俺のことなんて嫌いなんだ。そうなんだ」

 顎を押さえながら、迫田が恨みがましい目で剛毅を見て言う。

 「全然、話が見えないんだけど」

 剛毅は思わずこめかみを押さえる。訳が分からない。
 迫田は、はぁ、と大袈裟にため息をつくと、暗ーく言った。

 「フラれた…」
 「え? フラれたって、美也ちゃんにか?」
 「他の誰にフラれるってんだよー!」

 またばったりと机に突っ伏してしまう。と言われても、先週まであんなに、美也ちゃん美也ちゃんとラブラブなご様子だったのだ。思わず聞き返したくもなる。

 「いつ?」
 「たった今!」

 突っ伏したまま迫田が答える。こうなると、剛毅にはもう、それはそれはご愁傷様とかしか言いようがなく黙り込む。しばらくの沈黙のあと、迫田が口を開いた。

 「D組の伊藤に告白されてそっちと付き合うことにしたって言うんだ。ごめんね。って可愛く言われても、はいそうですかって納得できるか? なあ?俺との二ヵ月は何だったの? そんなに簡単に切り替えられるもんなの? ねぇ、剛ちゃん!」
 「…そんなの俺に聞かれても」

 剛毅も昼間、安藤の変わり身の早さに唖然となった口なのだ。女の子と付き合ったこともないのにそんなの分かるかと、剛毅は逃げの体制に入る。大体そんなこと剛毅に相談しようという方が間違っている。

 「――そうだよな。熊崎には関係ないよな」

 ふ、と目を逸らして寂しそうに呟くと、黙り込んでしまう。見たことのない迫田の様子に戸惑いつつ、剛毅はなんか可哀相になってきた。
 重い空気のまま、閉館時間を迎える。後片付けをしながら剛毅は迫田になるべくさりげなく、声を掛けてみた。

 「帰りにラーメンでも食ってかないか? その、俺今月の小遣い貰ったとこだからオゴってやるぞ」
 「いく!」

 即答。こいつ、落ち込んでたんじゃなかったのか? 剛毅はなんとなく引っかかったような気がしないでもなかった。

 「チャーシュー麺、大盛りね」

 駅前の、学生御用達汚いけど安くて旨いラーメン屋。カウンター席から、迫田は元気に注文している。

 「…ラーメン、並で」

 こいつ、奢りだと思いやがってと、剛毅は早くも仏心をだした己を恨みはじめる。さっきの暗い様子はどこへやら、もうすっかりいつもの迫田だった。
 さっそく運ばれてきたチャーシュー麺大盛りを、旨そうにどんどん平らげていく。

 「普通、失恋したら食欲って無くなるんじゃないのか?」

 つい、厭味のひとつも言ってみたくなる。

 「あ、俺、食欲と感情は無関係なタチなの」
 「あ、そ」

 もう、何も言うまい。剛毅は黙って自分のラーメンを食べることにした。彼は辛いことがあると食事が喉を通らないタイプで、感情と食欲は完全に比例する。迫田のようなタイプは羨ましくもあった。

 「ごっそーさん!」

 汁まできれいに飲み干して、迫田は手を合わせる。はやい。まだ、剛毅は半分くらい残っている。

 「よく食うよな。帰宅部なのに、それでよく太んないな」

 思わず感心したくなるような食べっぷりだった。

 「う、帰宅部っていうなー」

 急に迫田の顔が曇る。

 「なんでだよ」
 「伊藤は美也ちゃんと同じテニス部なんだ。やっぱり同じ部活の方がいつも一緒にいられるし、話も合うし、それにクラブ終わるの待ってられるのも重いとか言うんだー」
 「うんうん」

 どう相手してよいのか分からない剛毅は、取りあえず相づちを打つしか出来ない。

 「――もういらないのか?」

 迫田の目線が剛毅の残りのラーメンに注がれている。
 いらなくはないが。剛毅は黙ってラーメン鉢を迫田の方へ押しやった。

 「さんきゅー」

 嬉しそうに食っている。落ち込んでるのか調子こいてるのか、もう剛毅には判別不能だ。

 「ありがとな」

 ずるずるラーメンを啜りながら、迫田が少しマジな顔になってぼそっと言った。

 「俺だってさ、これでもけっこう繊細なんだぜ? フラれるのは初めてじゃないけどさ、やっぱ傷つくじゃん。なんかさー、別に俺じゃなくてもいいんだなーって、俺なんかいなくても平気なんだって。我ながら短絡的だけど、気がつくと、誰も俺なんか必要としてないんだー、とかなっちゃうんだよな…」
 「そんなことないよ」

 言いながら、剛毅はそういう感情を知っている自分を思い出す。

 「でもさ、こうやっていつもは冷たい剛くんが、ラーメン奢ってくれたりもするじゃん?やっぱり世の中捨てたもんじゃないよ。うん」
 「単純なやつ」
 「へっへー。それがおれの取り柄だもんね。やっぱ女より、男同士の友情だよなー」

 つい先週まで愛だの恋だのと浮かれていたやつのセリフとはとても思えないが、元気になった迫田を見て、ま、いいかと剛毅は微笑んだ。

 「あれ?」

 剛毅はいつものように玄関ドアの鍵を開けようとして、鍵が掛かっていないのに気付く。六時過ぎているから佐山さんはもう帰っているはずだし。

 「ただいま」

 いつものように、マロンが出迎えてくれる。玄関口にはディオールのハイヒール。母の冴子が帰っているようだった。居間を覗くと、冴子と、珍しく父の姿もあった。

 「ただいま、剛毅。元気だった~?」

 陽気に声を掛ける冴子の横には大きなスーツケース。周りはおみやげものらしい包みの山だ。今帰ってきたところらしい。そういえば二週間程前、今度のクライアントのための家具の買い付けに、イタリアに行くって言ってたっけ。と剛毅は思い出す。

 もう五十歳に手が届こうかという冴子だが、若い頃はさぞやという美貌の持ち主で、年は取っても華やかな雰囲気は変わらない。負けず嫌いの気の強さは容姿にも現れているがそれが却ってバリバリのキャリアウーマンらしく、いかにも仕事が出来そうで自信に満ち溢れている。冴子曰く、女がフリーでやっていくには自信過剰なくらいでちょうどいいのだとのことだ。

 「おかえり。かあさん」
 「おみやげあるから、着替えてきなさい」
 「うん」

 いつもならまだ医院で仕事をしているはずの父の隆が、冴子の横でにこにこと嬉しそうに座っている。お互い仕事を持っているのでなかなか一緒にいられないせいもあるが、冴子にべた惚れで、拝み倒して結婚してもらったという真面目で穏やかな性格の隆は、いまだに冴子のいいなりだ。
 剛毅の容姿は母譲りで、姉の実乃里は容姿も性格も父親似だった。
 着替えて降りていくと、冴子はもう早速いくつか包みを開いている。

 「はい、剛毅にはこれ」

 小さくて重い包み。開けてみると、以前から欲しいと思っていたダイバーズウォッチだった。そんなに高級ブランドではないが高校生が小遣いを貯めて買うには高いものだ。

 「へえ、これ知ってるよ。雑誌とかでも最近見かけるし、流行ってるみたいだね」
 「あら、そうなの? たまたま免税店で見かけてね、カッコ良かったから買っちゃったの」

 硬派なスポーツブランドが若者向けに発売したカジュアルラインのものだが、それでいて本格仕様のシンプルで男っぽいデザインは最近日本でも人気があった。母の衝動買いもたまにはヒットがあるようだ。

 「ありがと、かあさん。欲しかったんだよね、これ」

 剛毅はさっそく腕に巻いてみた。が、

 「似合わない」

 母がぼそっと呟くように言う。自分でもそう思ったが、あえて黙っていた剛毅だったのに、買ってきた冴子に言われてしまっては実も蓋もない。

 「マッチョな外人モデルが付けてるポスターはカッコ良かったんだけどねー」

 ため息まじりに冴子が駄目押し。要するに剛毅には大きすぎたのだ。ベルトは短く出来るけれど、本体部分がかなり大きくてごついので、剛毅の細い手首では女の子が彼氏の時計を付けているような違和感がある。ホントに女の子ならそれはそれでかわいいが、男がつけていたらただ貧弱に見えるだけだ。

 「そんなことないぞ。ベルトを短くしてもらえば…」

 隆が一応フォローを入れるが、効果はあまりない。

 「えーと、これは、実乃里の分」 

 もう剛毅のことは放って、冴子は他のおみやげを分けている。

 「そういえば、実乃里ぜんぜん帰って来ないわねぇ。もうすぐ夏休みでしょ? 帰ってくるのかしら」
 「ああ、休みに入ったら帰ってくるって言ってたよ」
 「何日頃かしら?私八月に入ったらまた大阪の方に長期出張よ」
 「はっきり何日とは聞いてないが、七月中には帰ってくるんじゃないか?」

 姉さんが帰ってくる――。 剛毅は複雑な気分で、じっと二人の会話に耳を傾けていた。


 その夜、剛毅がエアコンの利いた部屋の窓を開けると、湿度の高いまとわりつくような熱気が入り込んできた。もう六月も終わり、雨こそ降っていないものの、どんより重い空気は夜になっても不快な熱気をはらんだままだった。 あれから、もうすぐ二年が経とうとしている――。